リーダーと語る
今治市長 徳永繁樹氏
少年時代の自分自身が今の自分を奮い立たせる

令和3(2021)年2月に今治市長に就任し、新たな船出をした今治市の舵をとる徳永繁樹氏に、熱い思いを語っていただきました。
「しまなみの杜リゾート」の緑の中で風を感じながら、旧知の仲の気安さもあり、リラックスした表情で、思い出話や市政への胸の内も飾ることなく話してくださいました。
「しまなみの杜リゾート」の緑の中で風を感じながら、旧知の仲の気安さもあり、リラックスした表情で、思い出話や市政への胸の内も飾ることなく話してくださいました。
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ともに今治出身で同い年の僕らですから、今日は少年時代のことなども話してみたいと思います。
青野
お生まれは今治のどのあたりでしたか? -
桜井の海の近く、唐子浜の少し綱敷天満宮寄りです。
徳永
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昔は「唐子浜パーク」がありましたね。
青野
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家族や地域のみんなで出かける定番の場所でしたよね。
徳永
今は遊びも複雑多様化、高度化していて、子どもは家で一人で遊ぶ時代。
制限も多くてなんだかかわいそうな気がします。
昔はあちらこちらで地域ぐるみで子どもたちを守ったり育てたりしていました。 -
近所のおじさんやおばさんに叱られたりもしましたね。
青野
夏の夜店もにぎやかで楽しかったな。 -
僕は商店街の夜店よりも、夏の思い出といえば、地元桜井の「宮島さん」。
徳永
出店もたくさん出て華やいでいました。
広島の厳島神社の分社がある綱敷天満宮の行事です。
7歳までの男の子の成長を祝って、旧暦の6月17日(概ね新暦7月・8月)にわら舟を作って広島の宮島へ向けて海に流すんです。
今も続く伝統行事で、とても思い入れがあります。 -
同じ今治でも地域によってお祭りや行事もさまざまですね。
青野
小さい頃はどんな子でしたか? -
牛乳を毎日2リットル飲んでいました(笑)。
徳永
亡くなった母が、大きくなるようにと考えてくれたんでしょうね。
おかげで身長は178センチにまでなりました。
足のサイズは24・5センチと小さめですが。 -
野球少年だったんですよね。
青野
野球を始めたのはいつ頃ですか? -
小学生からです。
徳永
高校でも甲子園を目指して野球部に入りましたが、途中で辞めてしまいました。
その苦い経験は、今も僕にとって特別なもの。
教訓として生きています。
〝自ら望んで志したことは、自分の都合では決してあきらめない〟どの世界も同じでしょうが、政治の世界も孤独を感じることもありますが、がんばらなければと、また奮起することができます。
ふるさと今治の皆さんに喜んでもらえることが幸せ
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政治家になろうと思ったのはいつ頃ですか?
青野
何かきっかけがあったのでしょうか。 -
30代で今治青年会議所に入ってからです。
徳永
そこでたくさんの人と出会ったことが大きかった。
県外から故郷に戻り、友達を増やしたくて入会すると、志を同じくする同世代の仲間が一気に100人以上できました。
語り合ううちに、みんなこれほどがんばっているのになぜ報われないんだろうと思うようになりました。
いいアイデアがあってもいろいろなしがらみで動き出せない。
立場があるから本音を話せない。
そんな声を多く聞いて、それなら自分がやってみよう、新しい風を吹かせてみようと思ったのです。 -
スタートは愛媛県議会議員からでしたね。
青野
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出馬の際には政治経験もなく厳しいご意見もいただきましたが、なんとか当選しました。
徳永
でもそれからが大変でした。
議員になることが目的ではありませんから。
仲間や家族、近所の人たちが疑問に思うことを一つずつでもいいから解消しようと地道に活動を続けていると、「ありがとう」と言ってもらえるようになり、それを幸せに感じ始めました。
だからいつも「お困りのことはないですか」と、自分から探しに行っていました。 -
当社は「あなたが幸せでありますように そして それが私たちの幸せでありますように」という企業理念を掲げています。
青野
今のお話にとても共感できます。 -
大切な人や地域の方々を幸せにしたいというのが、僕の政治家としての原点です。
徳永
今度は市長として、「市民が真ん中」の視点で市民の役に立つ市役所の運営をしていきます。
時代が厳しくなれば苦しいことも出てきますが、それも受け止めてしっかり議論して、誰もが声を上げられる世の中にしたいです。
「新しい風」を吹かせてあきらめないで、絶えず前へ
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新市長の誕生を、ご自身はどう捉えていますか?
青野
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今回の市長就任をテレビ番組に例えるなら、キャスターの交代ではなく、番組そのものの入れ替えだと考えています。
徳永
今の時代、これからの時代にふさわしい番組を、市民の皆さんにお届けしたい。
それが「未来への新しい風」です。やるべきことは、新しい風をどんどん吹かせること。
僕たちが今いるこの「しまなみの杜リゾート」も、これまでの今治にはなかった、いわば「新しい風」です。僕らの思いはきっと同じなんですよ。
これまでにない取り組みで、1+1が3にも5にもなるような仕掛けをして、市民の皆さんと一緒になって今治を変えていきたいです。 -
そのためにどんな構想がありますか?
青野
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あちこちの市長さんが僕に「いい所の市長になったね」と言ってくれました。
徳永
今治には海や島があり、橋が架かり、陸地に豊かな自然があり、サッカーチームもあり、コンパクトな旧来の町もある。
こんないい所はありません。
これを生かさない手はありません。
地域の成長には、立地の有効性がとても大きく影響します。
そこで、明日の、未来の今治市の発展の道筋となるのが「瀬戸内クロスポイント構想」です。
今治は瀬戸内海の「へそ」に位置しています。
今治ICから今治湯ノ浦ICまでの10・3キロに高速道路が開通すれば、全国のどこからでも今治にスムーズに来られるようになります。
この立地の良さに着目して人や経済を集積させるのです。
また、今治は「海事都市」と言われていますが、ぶどうの房を一つ、また一つと増やしていくように、さらなる今治の個性と魅力を増やすことが大事だと考えています。 -
思いを実現するためには、お互い組織のリーダーとして考えるべきこともありますね。
青野
一緒に働く人たちに同じ気持ちを持たせることです。
当社では「礼儀・思いやり・掃除」を徹底する教育をずっと続けていて、根本にあるのは相手を思いやる心です。
同じ気持ちの人が集まればきっと問題は解決するでしょう。
市の職員へはどんなアプローチを考えていますか? -
職員も僕と同じように「市民が真ん中」の視点に立ち、市民にありがとうと言ってもらえる幸せを感じられれば、能動的に動くことができるはずです。
徳永
大きな組織の長になった僕が、全職員の気持ちを前向きにもっていかなければなりません。
わかりやすい発信で、持ち前の粘り腰で、あきらめずに進んでいこうと思います。
学びと気付きを繰り返すことが土壌になります。
一人ひとりがそれぞれの現場で風を吹かせ、化学反応を起こすことを、市民の皆さんが期待し見ているのですから。
あきらめたら終わり。
絶えず前進です。 -
これからがとても楽しみです。一緒に前進を続けましょう。
青野