リーダーと語る
波止浜興産株式会社
西本 信保 氏
人のため、地域のため多角的視野でサービス提供

「波止浜興産」は地域と共にある会社です。不動産事業では「住みやすい町づくり」を念頭に、マンションや店舗の賃貸・仲介等で人々の暮らしを支えると同時に、地域に活力を与えてくれています。ゴルフ場や自動車教習所などでも常に時代の動きを的確に捉えたサービスが際立ちます。
私たちに元気をくれる頼もしい西本社長にお話を伺いました。
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不動産事業をはじめ、ゴルフ場や自動車教習所、ガソリンスタンド、保険代理店とさまざまな分野で活躍されていますね。
青野
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「波止浜興産」は昭和34年に不動産事業でスタートしました。当時会社を始めるにあたり、まず町を作って人に住んでもらおうと、不動産業から着手したと聞いています。前身の「波止浜化学工業」が波止浜塩業組合の関連会社でしたので、塩田の跡地を活用して始めたのが、翌35年のゴルフ場と自動車練習場です。
西本
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広大な土地の有効活用ですね。ゴルフ場は、何かきっかけがあったのでしょうか?
青野
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先代がある方から「これからゴルフの時代が来る」と聞いたのだそうです。当時のアメリカの様子などからも「来るぞ」と納得して始めたようです。私がまだ保育園に行く歳の頃、ゴルフクラブではなくメダカとりの網を持って、親父と一緒にゴルフ場を回ったことを覚えています。
西本
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当時はまだ、日本ではゴルフの先駆けの時代ですよね。
青野
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愛媛県で2番目にできたゴルフ場だと聞いています。
西本
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ゴルフ場を持っているとなると、やはり、かなりの腕前なのでは?
青野
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そう思われがちですが、素質という問題があって・・・(笑)。お客様が第一なので、まだ誰も来られていない早朝に回ることはあります。
西本
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私は連日というくらい「アクティはしはま」に通っていて、とてもお世話になっています(笑)。
青野
時代の動きを見据える確かな目とアイデアでニーズに応える即応力
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自動車教習所を始めたのは、どのような理由からですか?
青野
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これもやはり「モータリゼーションの時代が来る」と見越してのことです。当初は教習所ではなく、練習場だったんですよ。実際の免許取得は松山の試験場で受験して、ここは練習だけという場所でした。昭和37年に県公安委員会の指定を受けて自動車教習所になりました。
西本
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近年は少子高齢化で、免許取得の状況も変わりましたか?
青野
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やはり新規取得の人数は減っています。一方で、高齢者講習という新たなニーズが浮上しました。70歳以上の方の免許証更新では必ず講習を受けなければなりません。75歳になるとさらに認知機能検査も必要です。
西本
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以前はなかった制度ですよね。やはり高齢化に関する動きは大きいのでしょうか。
青野
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徐々に大きくなっていますね。当社の「はしはま自動車教習所」では、高齢者の方に安心して講習を受けていただけるように、軽四自動車を導入しています。多くの高齢者の方が普段は軽四自動車に乗られていて、通常の教習車は大きすぎるという声があったので用意しました。
西本
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利用者の立場に立った対応はとてもありがたいことですし、本当に役立つ重要なことだと思います。他にも悪天候の状況を体験できる施設もあるそうですね。
青野
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「はしはまドーム」ですね。暗闇の状況を作って、車のライトでの見え方などを確認することができます。黒い服は夜道でほとんど見えず、反射ベルトがあれば光って見える様子など、自分の目で見て理解できます。他にも雨天のワイパーや、霧の中のライト、濡れた路面のスリップ、急停車の衝撃とシートベルトの効果など、いろいろな状況を再現できるようにしました。実際に体験してみないとわからないことがたくさんありますからね。
西本
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すごいアイデアですね。運転者だけでなく、歩行者や子どもたちにも体験してほしいです。
青野
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県内では唯一の施設で、全国でも珍しいと思います。小学校の安全教室などにもご利用いただいています。自分の目で見て、体験して、それらを通して交通事故に遭わないようにしていただきたいです。
西本
自分が先頭に立つ心意気で大切な故郷をもっと元気に
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発想がとても豊かで、しかもとても効果的に形にされていますね。また社歴を振り返ると、時代に応じた機動力もあります。
青野
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先代の目も正しかったのでしょうね。最初にお話ししたように、当社が最初に取り組んだのが町づくりでした。塩田を宅地に変えたのですが、当時はブルドーザーなどないので、トロッコで土を運び込んだそうです。宅地ができて人が住み始めると、次は車で動けるように運転免許のための施設を作り、車に乗ればガソリンが必要なので、ガソリンスタンドも始めました。時代は高度経済成長期でしたので、レジャーとしてゴルフ場も作りました。やはりそんな風にどんどん動いていろいろなことを始めなければ、町は活発化しません。
西本
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これから僕らも、次のステップに進まなければいけませんね。今、御社と当社で一緒に始めようとしているプランもそのひとつ。地域の人たちの不動産の困りごとを手助けするプランです。例えば住む人がいない家や、使われなくなった農地などを仲介して活かすご相談に応じたいと考えています。
青野
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どうしても地元で就職する方が少なくなり、出てしまうと帰ってこないのが現状なので、次の世代の家族が近くにいないことが増えていますからね。我々が協力して、困っている地域の人たちのお手伝いができればと思います。
西本
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少子化、エネルギー問題など世界的な問題も多くありますが、未来に向けて僕らにできることは何でしょうか。
青野
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世の中は昔よりも激しく変化しています。グローバル化で、世界の動きがすぐすべてに影響する時代です。けれどもまず、自分のふるさとを大事したい、元気づけたいと思っています。傍観者でいてはいけません。何もしなければ町はさびれてしまいます。例えば波止浜に大きなスーパーやドラッグストアを誘致した際、他所に移りかけていた人がまた住み続けようと戻ってきてくれました。とてもありがたかったです。そのような人たちがもっと増えるように、地域を元気にしたいです。
西本
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いろんなチャレンジをしていきたいですね。一緒にがんばりましょう。お互いの会社をもっと元気にして、そして一緒にふるさとを元気にしましょう。
青野
波止浜興産株式会社
昭和24年に「波止浜化学工業」として設立し、昭和34年に「波止浜興産」に社名を改め業態を変更。不動産事業をはじめ、ゴルフ場、自動車教習所、ガソリンスタンド経営など幅広く事業を展開。
所在地:今治市内堀1-1-25